アンビリバボー高山良二のカンボジア地雷除去がすごいです。
気になりますね。
妻やwikiプロフィール経歴と共に詳しく調べました。
- 高山良二(元自衛官)wikiプロフィール(年齢・大学)
- 高山良二(カンボジア)の経歴やカンボジアに渡った理由は?
- 高山良二(元自衛官)結婚した妻や子供は?
- 高山良二(カンボジア)の現在の年収は?
- まとめ
高山良二(元自衛官)wikiプロフィール(年齢・大学)
高山良二(元自衛官)wikiプロフィール(年齢・大学)です。
名前:高山良二(たかやまりょうじ)
生年月日:1947年
年齢:72歳
出身:愛知県宇和島市
在住:カンボジアのバタンバン
職業:地雷処理専門家、NPO法人 国際地雷処理・地域復興支援の会(IMCCD)理事長、元陸上自衛隊
地雷のない未来をカンボジアの村人と一緒にをモットーに日々活動しています。
いつも危険と隣り合わせのたいへんな仕事です。
それでも、高山良二は、「内戦という状況の中で埋められた地雷は、やはり人間が犯した過ちだと思います。その過ちを子や孫の代まで放置してはならない、人間が犯した過ちは、人間が正さなければならない」という思いで動いています。
とても素敵です。
高山良二(カンボジア)の経歴やカンボジアに渡った理由は?
高山良二(カンボジア)の経歴やカンボジアに渡った理由です。
陸上自衛隊は36年間務め、主に施設科部隊に在籍していました。
1992年から93年にかけてPKO活動で初めてカンボジアに派遣された自衛官の1人でもあります。
その時は6ヶ月、カンボジアに滞在しました。
その時に、「自分は、この半年間何ができたのだろうか」と、自問自答し、その答えは、「何もできはしなかった」ということでした。
その悔しさや、納得がいかない思いで、「もう一度ここに戻って来よう。そしてやり残したことをやろう」と自分に誓いました。
2002年定年退職で退官します。
退官して三日後には、前述で誓っていたとおり、再びカンボジアへ渡ります。
ここでは、地雷被災者が多く、道路も劣悪で、エイズやマラリア、デング熱が多発していて、村人は働く場所がないため、隣国タイに売られていく女性もいました。
最悪や環境だったと語っています。
そして高山良二は、世界初となる住民参加による地雷処理活動を開始、「日本地雷処理を支援する会(JMAS)」に参加し、理事を務めます。
2011年2月にはカンボジア王国中央政府機関 CMAC(カンボジア地雷対策センター)より地雷処理技術顧問に任命されました。
カンボジア王国議会より、復興担当顧問に任命され、その功績から、2011年に公益財団法人社会貢献支援財団より社会貢献者表彰を受けました。
テレビ番組や新聞、ドキュメンタリーでとりあげられる事もあります。
高山良二(元自衛官)結婚した妻や子供は?
高山良二(元自衛官)結婚した妻や子供です。
高山良二は妻がいます。
しかし、一般人のためか、情報は全くありませんでした。
自分の旦那さんが危険な地雷処理のため、カンボジアに行くとなれば、反対したくもなりますが、高山良二の奥さんは背中を押して応援してくれたと言います。
素敵な夫婦ですね。
子供の情報はありませんでした。
高山良二(カンボジア)の現在の年収は?
高山良二(カンボジア)の現在の年収です。
高山良二の年収を調べましたが、わかりませんでした。
高山良二は、お金のために動いているわけではありません。
それでも、気になり調べましたが、わかりませんでした。
まとめ
とても素敵な高山良二でした。
なにより、パワーが他の人とは違うと感じました。
人間力が高い人です。
地雷の危険はわかってはいますが、自分の危険を顧みず、処理に動ける人間ってそうはいないと思います。
いつも危険と隣り合わせですから、毎日が戦いです。
やはりパワーが強くないと務まらない仕事ですね。
とにかくかっこいい高山良二でした。
今後も注目です。