今回の笑ってコラえては渡慶次幸平(とけしこうへい)が登場します。
ラウェイチャンピオンです。
結婚した妻や年収が気になります。
Wiki経歴(年齢・経歴)とともに詳しく調べました。
- 渡慶次幸平(とけしこうへい)Wikiプロフィール(年齢・高校)
- 渡慶次幸平(とけしこうへい経歴は?
- 渡慶次幸平(ラウェイ)結婚した妻や子供は?
- 渡慶次幸平(ラウェイ)年収は?
- まとめ
渡慶次幸平(とけしこうへい)Wikiプロフィール(年齢・高校)
渡慶次幸平(とけしこうへい)Wikiプロフィール(年齢・高校)です。
名前:渡慶次幸平(とけしこうへい)
愛称:暴走タコライス
生年月日:1988年6月4日
年齢:31歳
出身:沖縄
身長:170センチ
憧れ:山本徳郁
職業:格闘家、ラウェイファイター
ラウェイとは、ミャンマーの格闘家で、寝技がなく立ちのまま戦います。
あまり聞き馴染みがありませんが、約1000年の歴史をもつ国技です。
世界一危険な格闘技といわれています。
ボクシンググローブは装着せずにバンデージを巻いたのみの拳で戦います。
渡慶次幸平は日本ラウェイ界のエースと呼ばれています。
渡慶次幸平(とけしこうへい経歴は?
渡慶次幸平(とけしこうへい経歴です。
幼少期はわんぱくで保育園や小学校から脱走を繰り返すほどでした。
小学生の時には野球を始め、学習塾にも通いました。
中学は受験し、進学校へ通います。
高校生のころ山本キッドに憧れ、高校3年の時地元沖縄のMMAのジムに入門します。
そして格闘家になるために19歳で上京します。
この時お金がなく所持金が3万円でした。
家もなく上京後から3ヶ月はネットカフェで寝泊まりやホームレスを経験します。
すごいですね。
人生に振り幅があります。
2012年で老舗総合格闘技団体プロデビューを果たします。
格闘技を始めて3年目のことでした。
2017年ラウェイに参戦します。
ラウェイ無敗のミャンマーの選手と戦った時は4R終了時顔面の腫れによるドクターストップでTKO負けをします。
この時は頭突きをされ、素手で殴られ、鼻血が止まらなくなったといいます。
その状態で鼻をかんだら血管破裂し、原形をとどめないほど腫れ上がります。
本当にこわいです。
ラウェイは本当に危険な競技で、素手で殴り合い、ヒジ打ち、頭突き、投げ技があります。
渡慶次幸平も記憶がぶっ飛んだまま試合をしていたこともあるといいます。
その後、別の試合でもドクターストップ、引き分けが続きます。
しかし、2018年2月21日の試合で初勝利を飾ります。
その後も二連勝するなど風がふいてきました。
そして2018年はチャンピオンとなりました。
2019年も試合を続けており、勝ちと引き上げが続き、渡慶次幸平ファンがどんどん増えています。
渡慶次幸平(ラウェイ)結婚した妻や子供は?
渡慶次幸平(ラウェイ)結婚した妻や子供です。
渡慶次幸平は結婚しており妻がいます。
できちゃった婚のため、子供もいます。
育児にも協力的で2年の育児休業をとりました。
その後現役復帰します。
奥さんに「30歳までに食えるようになれなかったらやめる」と言って復帰しました。
現在は試合の翌日、顔が腫れていてもこどもの送り迎えをするといいます。
渡慶次幸平(ラウェイ)年収は?
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渡慶次幸平(ラウェイ)年収は?
渡慶次幸平(ラウェイ)年収です。
渡慶次幸平がもともとはMMA選手だったのにラウェイを始めたきっかけは、ファイトマネーが高いことでした。
初めてラウェイのオファーがきた時、それまでの11試合の合計よりファイトマネーが高く、惹かれたといいます。
金額は1試合で数十万円でMMAの試合から一桁上がりました。
まとめ
とにかくこわいラウェイです。
血だらけで失神するとは見ていられないくらいこわいですね。
渡慶次幸平は本当に強く、かっこいいです。
渡慶次幸平の現在の夢はミャンマーに学校をつくりたいといいます。
子供たちのためですね。
渡慶次幸平ならミャンマーと日本の架け橋になれるでしょう。
今後の活躍も楽しみです。