井谷俊介(パラ陸上)の結婚や彼女は?wiki経歴や年収や大学時代の事故とは?【ジャンクスポーツ】

今回のジャンクスポーツは井谷俊介が登場します。

パラ陸上選手です。

結婚や彼女が気になります。

wiki経歴や大学時代の事故とは?と共に詳しく調べました。

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  • 井谷俊介(パラ陸上)wikiプロフィール(年齢・出身)
  • 井谷俊介(パラ陸上)の経歴は?
  • 井谷俊介(パラ陸上)の大学時代の事故とは?
  • 井谷俊介(パラ陸上)結婚や彼女は?
  • まとめ

井谷俊介(パラ陸上)wikiプロフィール(年齢・出身)

井谷俊介(パラ陸上)wikiプロフィール(年齢・出身)です。

名前:井谷俊介(いたにしゅんすけ)

生年月日:1995年4月2日

年齢:24歳

出身:三重県尾鷲市

サイズ:180センチ、73キロ

好物:味噌カツ、ベイクドチーズケーキ

学歴:東海学園大学

性格:負けず嫌い、前向き

憧れ:脇阪寿一

職業:パラ陸上選手

所属:SMBC日興証券

パラリンピックの陸上競技の選手です。

2016年に交通事故にあい、右足の膝下を切断しました。

2018年アジアパラ競技大会100メートルで優勝する実力の持ち主です。

2019年日本パラ陸上競技選手大会100メートルでも優勝しています。

すごいですね。

怪我からわずか数年しか経っていないのにすごいですよね。

現在パラスポーツ界で最も注目されている選手です。

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井谷俊介(パラ陸上)の経歴は?

井谷俊介(パラ陸上)の経歴です。

三重県に誕生します。

鈴鹿サーキットに近い場所に実家がありました。

その事から、幼少期から鈴鹿サーキットに通い、プロのカーラーサーになるのが夢でした。

ミハエルシューマッハが大好きでホテルの前で出待ちをするほどでした。

しかし、カーラースはお金がかかる事もあり、学生時代は野球部に所属します。

この頃から足は速く、野球用のスパイクを履けば11秒7という成績でした。

アルバイトはサーキットでしていました。

井谷俊介自身もトヨタヴィッツでレース活動を始め、夢中になります。

大学は愛知県東海学園大学へ進みます。

しかし2016年交通事故により右足膝下を切断しました。

大学二年生の冬でした。

バイク運転中の事故でした。

右足を切断とはかなりの大事故です。

4日間意識が戻らないほどの重傷です。

身体はもちろん精神面でもダメージがかなり強いでしょう。

意識が戻った時、まだ右足はありましたが、壊死が進んでおり、切断することになりました。

切断手術の1ヶ月後に義足をつけるようになりました。

そんな中、井谷俊介は母親のすすめで大和鉄脚走行会の練習に参加し、陸上競技に興味を持ちます。

事故から2ヶ月後の時です。

2018年からトレーニングを始め、めきめき才能が開花します。

事故で落ち込んでいる自分や、悲しい顔をさせてしまった家族や周りの人を笑顔にしたいと本格的に競技を始めました。

2018アジアパラ競技大会では優勝します。

これはアジア記録をたてたものです。

なんとトレーニングを始めてわずか10ヶ月での記録です。

2019年日本パラ陸上競技選手大会100メートルでも優勝しています。

師範は仲田健トレーナーです。

仲田健トレーナーは日本を代表する山縣亮太選手や福島千里選手の指導もしている人物です。

東京パラリンピックでは金メダルを目指しています。

これはお世話になった人に恩返しをしたいという気持ちで挑んでいます。

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井谷俊介(パラ陸上)の大学時代の事故とは?

井谷俊介(パラ陸上)の大学時代の事故です。

2016年交通事故により右足膝下を切断しました。

大学二年生の冬でした。

バイクの運転中の事故です。

4日間意識が戻らない状態でした。

そして意識が戻った時、まだ右足はありましたが、壊死が進んでおり医師から切断することを告げられます。

かなり大きい事故ですね。

精神的にもかなり落ち込んでしまいます。

井谷俊介もこの頃は不安やモヤモヤした暗い気持ちになる事が多かったといいます。

そして、家族や周りの人などにも悲しい思いをさせてしまい責任を感じていたといいます。

自分がすごく大変な時に周りの人の気持ちも考えられる素敵な人ですね。

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井谷俊介(パラ陸上)結婚や彼女は?

井谷俊介(パラ陸上)結婚や彼女です。

井谷俊介は結婚しておらず独身です。

彼女との目撃情報もありませんでした。

井谷俊介はインタビューで好きな女性のタイプはロングヘアですらっとした長身と言っています。

綺麗系が好きなのでしょうか。

デートはドライブで江ノ島に行き、しらす丼を食べたり夜景を見たいと言っていました。

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まとめ

パラリンピック選手の井谷俊介でした。

こんなに大事故にあい、もう絶望の気持ちだったでしょう。

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